原産地

中国中央部とする説や中国東北部に紀元前11世紀ごろ現れた
とする説などがあります。

日本への伝来と歴史

中国では4000~5000年前から大豆が栽培されていました。日本でもすでに弥生時代には栽培されていたと考えられていますが、奈良時代に入ると中国との外交も盛んになり、みそやしょうゆの加工方法も伝わってきました。その時代の古い書物にも豆のことが書かれています。平安時代には、大豆は稲に代わる税金としても納められていました。納税記録からは、当時、西日本を中心に大豆が栽培されていたことがわかっています。
全国に広く栽培が始まったのは、鎌倉時代以降のようです。そのころ広まっていた仏教では、肉食が禁じられていたため、大豆は重要なタンパク源でした。その後、大豆の栽培が日本全国に広まり、それにともなって加工品もふえ、日本人にはなくてはならない食材になっていったのです。また、当時の人々にとって、大豆がいかに大切なものであったかということは、「大豆」という名前からもうかがい知ることができます。

主要産地の推移

長崎県では1954年の7,670haをピークに1974年の827haま
で全国と同じように作付面積が急減し、1988年に1,880haまで持ち直した後、緩やかに増減しながら2010年には509haの作付けとなりました。
本県における近年の主要産地は、諫早市、波佐見町、壱岐市、五島市で、主に水田転作作物として作付けされています。

名前の由来

古代の中国では、大豆は大型の豆、小豆は小型の豆という意味で使われており、単純に大きさを指していました。ソラマメなど大型の豆があるにもかかわらず、ダイズが「大豆」と呼ばれるようになったのは「大きい豆」ではなく、「大切な豆」の意味だと考えられています。

長崎県における近年の大豆主要品種

長崎県における主要な品種

豆腐原料として主に「フクユタカ」が生産されています。
諫早市森山町が最も生産量が多く、次に壱岐市です。

播種の様子

収穫1カ月前の様子(枝豆)

収穫の様子


※参考文献
・「長崎県農林産物の伝来と歩み」平成25年3月
 長崎県農林技術開発センター
・「たべもの・食育図鑑」群羊社

※取材協力:JA全農ながさき

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